【8002】丸紅 ~沿革

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【8002】丸紅の沿革について解説致します

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沿革

1858年(安政5年):初代・伊藤忠兵衛が麻布類の卸売業として近江国犬上郡八目村(現・滋賀県犬上郡豊郷町)で創業

1872年(明治5年):大阪で呉服と太物(綿織物や麻織物など太い糸の織物の総称)を取り扱う紅忠(べんちゅう)を創業

「呉服」とは本来の絹織物のことを指し
その絹織物に比べて太い糸の綿織物や麻織物のことを「太物」と呼んだそうです

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1884年:紅忠を丸紅伊藤本店に商号変更

1893年:丸糸伊藤糸店(現在の伊藤忠商事の根幹とされている)を大阪に開店

1903年:初代・伊藤忠兵衛が死去

1914年:伊藤忠合名会社を設立

1918年:伊藤忠合名会社を株式会社伊藤忠商店(後の丸紅の前身)と伊藤忠商事株式会社とに分割する

現在の日本を代表する総合商社である丸紅と伊藤忠商事は
元は1つの会社だったわけですね♪

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1921年:伊藤忠商店と伊藤長兵衛商店とが合併し、株式会社丸紅商店となる(丸紅商店の初代社長となった七代目・伊藤長兵衛は初代・伊藤忠兵衛の義理の甥)

1931年:七代目・伊藤長兵衛が社長を退任、古川鉄次郎が専務取締役(実質的には社長だが社長就任は鉄次郎が固辞したらしい)として丸紅商店の経営にあたる

ちなみに古川鉄次郎は篤志家として知られており
郷里の豊郷村(現・豊郷町)に小学校を寄付するなど
社会事業に取り組みました

古川鉄次郎の設立した社会事業団体「私立芙蓉会」は
現在、公益財団法人芙蓉会となり滋賀県豊郷町の
教育、文化、健康福祉の発展向上に寄与しています

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1940年:古川鉄次郎が死去

1941年:丸紅商店、伊藤忠商事、岸本商店の3社が合併し三興株式会社となる

1944年:三興、大同貿易、呉羽紡績の3社が合併し、大建産業となる

1945年:太平洋戦争終戦

1947年:過度経済力集中排除法が公布、GHQの指示で戦時に日本を生産や金融など経済的に支援しうる民間の企業の分割・弱体化がなされた(いわゆる「財閥解体」)

1949年:過度経済力集中排除法が適応され、大建産業は丸紅、伊藤忠商事、呉羽紡績、尼崎製釘所(現・アマテイ株式会社)に分割された

1950年:東京証券取引所、大阪証券取引所に株式上場

1955年:丸紅は高島屋飯田株式会社と合併、丸紅飯田株式会社となる

1966年:東通株式会社を吸収合併

1972年:丸紅飯田から丸紅株式会社に商号変更

1973年:丸紅は株式会社南洋物産を吸収合併

1976年:ロッキード事件発覚、田中角栄元総理大臣が受託収賄を問われた事件で、丸紅社員からも逮捕者(後に有罪判決を受けた者)が出た

2003年:本店を大阪府中央区から東京都千代田区に移転

2016年:本店(丸紅ビルヂング)の建て替えのため、本店を東京都中央区日本橋の日本橋タワーに移転する

2021年:東京都千代田区大手町に完成した新本社・丸紅ビルでの業務を開始

最後に

丸紅の沿革を紹介致しました

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江戸時代に麻布類の卸売りとして創業された丸紅は、現在、日本を代表する大手総合商社として、あらゆる資源開発、加工、輸送、小売といわゆる「川上から川下まで」幅広くビジネスを展開しています。

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丸紅の事業内容に関しては現在勉強中です

いずれ事業内容に関しても紹介したいと思います

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ありがとうございました!!

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