【1802】大林組 ~沿革

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【1802】大林組の沿革について解説致します

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沿革

1892年(明治25年):大林芳五郎が土木建築を事業とする大林店を創業、阿部製紙所の工場建設を受注したのを機に創業した

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阿部製紙所の請負金は12万1,000円、当時小学校教員の初任給が月給8~9円だったそうなので、現在価値にすると20憶円を超える大型案件を受注したことになります

それ以前に芳五郎は東京で5年間土木建築の修行を積んでいたそうですが、
まだ実績もなく起業もしていない20代の若者によく発注したものです

実際、入札で競合した業者からも「名も知らない若造が出来るわけない」と冷ややかな目で見られていたようです

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1904年:大林組に商号変更

1909年:合資会社大林組に商号変更

1916年:創業者の大林芳五郎が死去、大林義雄(芳五郎の長男)が社務継承

1918年:株式会社大林組を設立(このとき合資会社大林組と株式会社大林組は別の会社だった)

1919年:株式会社大林組に合資会社大林組を合併

1924年:阪神電車甲子園大運動場(現:阪神甲子園球場)が竣工、東京歌舞伎座が竣工

1931年:大阪城天守閣が竣工

1936年:株式会社第二大林組を設立

1937年:株式会社第二大林組に株式会社大林組を合併、商号を株式会社大林組に改める

1943年:大林義雄社長死去、 会長に白杉嘉明三、社長に大林芳郎(義雄の養子であり甥、芳五郎の長女の二男)が就任

1954年:蔵前国技館が竣工

1958年:大阪証券取引所に上場

1960年:東京証券取引所に上場

1963年:戸塚カントリークラブが竣工

1964年:京都タワービルが竣工

1970年:大阪万博においてテーマ館(太陽の塔がある展示スペース)アメリカ館が竣工

1981年:青函トンネル三岳工区が竣工(他社と共同施工)

1989年:会長に大林芳郎、社長に津室隆夫が就任

1997年:大阪城天守閣「平成の大改修」が完了

1997年:大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)が竣工

1997年:向笠愼二が社長就任

1997年:東京湾アクアラインが竣工

2001年:静岡スタジアム・エコパが竣工

2001年:ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが竣工

2002年:ラグーナ蒲郡が竣工

2003年:六本木ヒルズ森タワーが竣工

2003年:大林剛郎(芳郎の二男、創業者の芳五郎の曾孫)が会長就任

2003年:JR函館駅が竣工

2003年:東海道新幹線品川駅が竣工

2005年:脇村典夫が社長就任

2007年:東邦高等学校が竣工

2007年:白石達が社長就任

2007年:千里リハビリテーション病院が竣工

2008年:モード学園スパイラルタワーズが竣工

2011年:平成22年度竜串地区自然再生事業竜串湾泥土除去が完了

2012年:東京スカイツリーが竣工

2013年:国立国会図書館の耐震補強工事が完了

2018年:蓮輪賢治が社長就任

ここにあげた工事の実績はほんの一例です
挙げればキリがありません

最後に

大林組の沿革を紹介致しました

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明治に創業した大林組は、土木事業、建築事業において近・現代日本のインフラ整備や歴史的建築物、レジャー施設、研究施設、学校、公共施設などの建設・改修に携わってきました。

平成以降、ゼネコンに対する風当たりは厳しいものがあります。

しかしながら、国土の7割が山であり、古来より河川の氾濫や地震など自然災害に見舞われ、欧米に比べ軟弱な地盤の日本において、より豊かな生活を営むためにも国土開発の需要が尽きることはないでしょう。

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大林組の技術は今日も未来も日本のために欠かせないと思います♪

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ありがとうございました!!

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